ロンドン駐妻が大学留学を考え始めたきっかけ
こんにちは。ロンドンでゆるりと大学留学中の駐妻minazoです。
始めてからというもの、ほぼ留学のことを書いていなかったこのブログ、ついに本編!駐妻として生活しつつ大学留学した話を書いていきます。
まずはよく聞かれる「なんで大学のコースを取ろうと思ったの?」という、始まりから。もちろん最終的には自分で考え自分で決めたのですが、きっかけとなった出来事を。
インドカレーを食べつつ・・・
とある冬の日。コアラ似の夫の同僚がロンドンに遊びに来るとのことで、インドカレーを食べに行ったのです。
美味しいインドカレーを食べながらロンドンでの暮らしはどう?のような会話の流れから、コアラ友達に言われたお言葉。
「何の目的もなく毎日過ごしてたら本当にもったいない。大学でも行ったらいいじゃん!」
その時私は「大学?!!英語で授業を受けるなんて私には・・・!」という反応をした記憶があります。いや、それくらい本当に英語が出来なかったのです。
そして今同じように考えている人にこのブログを見てもらえたらいいな、と心から思っています。英語で授業を受けることに何の抵抗もない人ではなく、「大学なんてまさか・・・!」と思っている駐妻さん!そんな人でも大学に通うという選択肢ありますよ、と。
その後もコアラ友達さんは「英語はある程度何とかなるし、英語がそんなに必要ないアートの大学でもいいし。」「とにかく日本人の駐妻同士でつるんで終わるのが一番よくない。」と力説してくれました。
この考え方が正しいかはさておき(次のブログで別途書きたい!)、この瞬間大学に行くという選択肢を考え始めました。
すぐその気になる、それが私
実はこの時いわゆる英語の語学学校に通っていたのですが、安くない授業料のわりに刹那的な授業システム。でもまだ全然英語はできない。これでやめたら中途半端にも程がある。と悩んではいたのです。
この後、大学ってどうやったら行けるんだ?という無の状態からあれこれ調べ始めることになります。私minazoはよく言えば「人の意見を取り入れる」悪く言えば「影響されやすく流されやすい」人間です。人生そんな感じで流れに身を任せて生きていますが、後悔はありません。
ちなみにそのコアラ友達さんとはあれ以来お会いしていませんが、いつか再会したらお礼が言いたいなあ。多分向こうはそんな話をしたことも覚えていないのだろうけれど。笑
おわり。
ジョージア旅行記・完 ホームステイとトビリシ市街のこと。
こんにちは。ロンドンでゆるりと大学留学中の駐妻minazoです。
ついにジョージア旅行記も完結させたいと思います。(ようやく次回から本題の大学留学のことを!)
ありがとう、友人家族
ロンドンに住んでいるとよく聞く話。
「ロンドンで知り合った子のお家に遊びに行ったら、めちゃくちゃ豪邸に住むお金持ちだった。」
ちなみにイギリス人のお友達ではなく、外国から留学に来ている子です。特に中国、台湾、東南アジア、東欧からの留学生は富裕層率高い気がします。日本や韓国、近隣のヨーロッパ(フランス、イタリア)の子は私と同じく「一般人」が多数派なものの、ちょくちょく貴族がいます。
前置きが長くなりましたが、ジョージアのお友達も富裕層でしたという話。
お家に着くと、高い壁に囲まれた豪邸。しばらく庭を運転して車を停めに行く広大さ。ご近所さんは大国の外交官とか、自国の政治家だとか。
一体ご両親は何をされているのかと思ったら、お父様は「ふらふらと会社を周って、ワインをご馳走になる」のが仕事とのこと。笑 まあ、なんとそんなお仕事があったなんて知らなかったです。(ご自身で経営されている会社とのことなので、もちろんそれまでに努力されていたのは理解しています。笑)
そんなフレキシブルなワークスタイルのおかげか(?)、お父様も私の滞在を全力でサポートしてくださいました。友人と喧嘩している?!と思ったら、「その教会じゃなくてこっちに行った方がいい!」など観光プランを力説してくれていたらしい。優しいお父様。
ちなみにお父様は日本に来たことがあるそう。ジョージアがソ連の一部だった時代、船に乗って日本まで行くツアーが流行していたらしいのです。ちなみに目的は家電!秋葉原だけ行って家電を買い漁った。他の記憶はない。とのこと。笑
そしてお母様は専業主婦のまさにマダム、という感じ。すごく穏やかで優しい。日中はネコと遊んだり、亀をお散歩させて過ごしているそう。
そんな素敵なご家族。少し離れたところに暮らすお兄さん夫妻もちょくちょく実家に来てくれて毎日とても賑やかでした。お昼と夜は観光して外で食べたので、毎回朝食を皆さんと。
レストランのジョージア料理とはまた違う家庭料理。どれも美味しい。特にジョージアチーズは私が好きなハルミチーズに似ていて、焼いても溶けない、さっぱりで歯ごたえもあってかまぼこ感覚でずっと食べられます。笑
アラブ料理のフムスに似ているペーストやチーズ、ソーセージなど、パンと合うものがたくさんあって、ついついパンも食べてしまう。毎朝大量に食べていました。
そんなとても楽しい朝食がホームステイ一番の思い出です。
帰国する時には、ワイン、紅茶、蜂蜜、、とキャリーバッグが破裂するのでは?というほどたくさんのお土産も頂いて、ご家族の皆さんには感謝しかないです。
トビリシ市街は・・・一言で言い表せない
当たり前ですかね、東京だって新大久保と銀座は全然違いますもんね。
無理やりまとめると、主にヨーロッパっぽい街並できれいな街でした。でも一本道を入るとコンクリート舗装されていない道が出てきたり。そしてチェーン店が入っているようなビルのすぐ下に遺跡がむき出しだったり。あと私は行かなかった(友達が見せなかった?)のですが、ネットの旅行記を見ると東南アジアのようなごみごみしたエリアもあるみたいですね。
旅行記・完
ジョージア旅行の思い出を長々と綴ってまいりました。私は人から旅行の話を聞くのが好きなので、自分もついあれこれと。留学にこじつけると、、ロンドンで大学留学したらこんな縁もあり、思ってもみない体験ができるかもしれません。
ちなみに、ちょっとしたトラブルもあり強くもなれました。
すべてジョージア国内ではない空港系。ロンドンの空港でチェックインの時。
日本パスポートがあればジョージアはビザなしで入れるんですね。でも「ロンドンの空港から日本パスポートでジョージア入国」というケースが前代未聞だ、とかで「ビザ必要です。無いなら出国できません。」と言われ。顔面蒼白。え、行けないの?そして実はジョージア航空はめちゃくちゃ深夜便しかない。出国できなかったとしたら、空港泊?い、嫌だ!
諦めず「いや絶対行けるはず。お願い。調べて。お願い。」と言い続け、大人数のスタッフ登場の末、どうにか出国。
続いて出国審査ではホッカイロを危険物とみなされ、初の身体検査部屋行き。検査官も優しかったし嫌な思いはしなかったのですが、誤解されてこじれたらまずい・・!と必死に英語でホッカイロの紹介をしました。笑 ここもどうにかクリアし出国審査も済ませましたが、もう呪われているんじゃないかと。
ちなみに深夜にロンドンからジョージアへ行く人なんていなかったようで、飛行機に乗客が数人。これも初の経験ですが、離陸時間が早まる。笑 離陸遅延は嫌というほど味わっていますが、早まるとは。
そんなこんなで、トラブルも経験したことで確実にメンタル強くなりました。トラブルがあった方が忘れませんしね。
総じて最高だった!といえるジョージア旅行。
私の気持ちを表しているのでは?と思えるジョージアの彫刻作品で終わります。
コーカサス地方ジョージアで見つけた「乙嫁語り」らしさ
こんにちは。ロンドンでゆるりと大学留学中の駐妻minazoです。
乙嫁語りという漫画をご存知でしょうか。
実は私漫画が大好きなのですがその中でも特に好きな、乙嫁語り。数年前に何かの賞も受賞されてけっこう有名な作品ですよね。作者さんが中央アジアやコーカサス地方の文化が大好きだそうで、それが伝わってくる細かい画!特に織物や衣装の模様の描写がすごいんですよ。
一番乙嫁語りの世界観に近いのは、カスピ海を挟んだ中央アジアの国々のようですが、たしか舞台を特定の国に絞らない架空の国という設定だったはず。ジョージアにも乙嫁語りっぽさの片鱗を見たので、今回はそれを書きます。
ジョージアの昔の暮らしが残されている歴史村という場所へ連れて行ってもらいました。
最後の写真は結婚式の時に着る衣装。男性の服には銃弾を入れるところがあるけれど、装飾でもあるらしい。民俗資料館的なところってあまり行かないけれど、乙嫁語りっぽさ探し!と思ったらとても楽しめました。美しい絨毯や衣装・・これは乙嫁語りの作者さんが魅了されたのも分かる。
それにしてもこの歴史村に来た日本人って私が最初で最後なんじゃ・・・と思う。もし行った人がいたらお会いしたい。笑
他にも昔の暮らしを再現している展示が色々。
ちなみにジョージアは世界で一番初めにワインを作ったと言われているらしい。(ジョージア人も言っていたし、世界ふしぎ発見!でもやっていました。)めちゃくちゃ大きい甕を地面に埋めてそこでワインを熟成させていたらしい。そんな展示もありました。
次は街で見つけたシリーズ。
ペルシャ絨毯やカウチン柄っぽさもありつつ、やっぱり乙嫁語りなんですよね!わくわく。
このたくさんぶら下がっているのはお菓子。
乙嫁語りには全く出てきていませんが、絨毯がたくさん並んでいる通りにあって歴史的な感じがしたので撮っておいた風景。
ブドウの果汁を固めたもので、ナッツ入りなど種類が豊富。「道で売っているのは観光客向けに着色料を使っているからうちでオーガニックのやつを食べよう」ということで、、お家でいただいたもの。
干し柿みたいな、グミみたいな感じで延々食べ続けられる系。でも意外とお腹に溜まる。
最後はお土産屋さんにて。
今回は完全に自己満足な内容でした。ちなみにジョージア人の友達ですら「日本でこういう漫画があってね!ジョージアの文化って中央アジアとも共通点あるよね!」と前のめりになる私に「ああ。まあ。あるかもね。」くらいの反応でした。笑
でもいいのです。恐らく中央アジアの国に行く機会はおそらくない人生なので、ジョージアで乙嫁語りの世界観に触れられて満足なのです。
振り返ってみて、乙嫁語りを紙の本で買い集めて読み直したい気持ちが・・・。
おわり。
ジョージア観光と日本語が話せるジョージア人
こんにちは。ロンドンでゆるりと大学留学中の駐妻minazoです。
今回は、ジョージア旅行編の観光について。
一番印象的だった教会について語ったあと、見て回ったところの写真を紹介して最後に私の友達の友達、日本語が話せるジョージア人のツアーガイドのことを書きたいと思います。
一味違う美しさ、ジョージアの教会
私の友達含め、ジョージアはOrthodox Christianityの方が多いようです。
突然英語を持ち出してしまったのですが、調べても「ロシア正教会」「東方正教会」「ギリシャ正教会」など出てくる名前の関係性やOrthodox Christianityの訳がどれにあたるのかが分からず断念・・。教養が足りず申し訳ないです。友達はロンドンにいる時はギリシャ教会を探し出して日曜のお祈りに行っていたので、Orthodoxであればギリシャ、ロシア、どの教会でもOKということなのだろうか。
そんなOrthodox Christianityの教会が独特。
都心から離れたムツヘタにある教会はもちろん、街中にある教会も必ずと言っていいほど高台にある。そしてレンガ石造りでとがった屋根。ヨーロッパの教会とは全然違うんですよ。
そして中に入って驚き。
ジョージアの教会にはキラキラなステンドグラスや豪華な装飾は一切ないんですね。だからこそ真っ先に隙間から差し込む自然光が目に入ってきて。シンプルな石の壁にその光の美しさが際立っていて感動の美しさ。
そして悲しい話。ジョージアの教会が高台に多い理由の一つに、シェルターとしての役割があったからという話。地理的に各地方とのちょうど真ん中で通り道になっていたジョージアはロシアやトルコ、あやゆるところから攻め込まれることが多かった歴史なのだとか。そんな時教会に逃げ込んで避難できるよう、井戸もありました。
ちなみにOrthodoxのルールでは教会の中に入るとき女性は髪を見せてはいけないのでスカーフで隠します。そして断食もあり友達はかなり制限していて、油も摂取できないといって、ひたすら豆を食べていました。しかし、調べてみると一応プロテスタントやカトリックも断食はあるようですね。実行している人を見たことがないけど、実はやっているのかな?
最後に装飾がロシア教会に近いキラキラ教会。
こちらは新しくて中もピカピカ、ホールのようなスペースもありました。実はソ連時代にソ連主導で作られたものらしい。前半見てきた教会とは建築様式も雰囲気もまったく違いました。
ジョージア観光スポット
連れて行ってくれたところの写真たち。
ジョージアには日本語が話せるガイドさんがいる
最後に愉快なジョージア人の思い出を。友達から前もって「日本語を話せるジョージア人がいるから紹介するね。」と言われていたのです。「え、ジョージアで日本語?漫画が好きでセリフとか覚えたのかな?」くらいに思っていたのです。
彼は夕食の場にやってきた。
「どうもどうもー!今日は何食べますか?ラーメン?カレー?それともカレーラーメン?!」
衝撃の登場。
もちろんこれを日本語で、しかもめちゃくちゃ流暢にしゃべりながら堂々の登場。
彼は独学&日本へ留学経験あり日本の超有名企業でも働いていたらしく、もう私が思っていた100倍くらい日本語お上手でした。ちなみに日本人向けのツアーガイドもやっているらしく、検索すれば出てくると思うのでジョージアに行く方はぜひ。(いつも言う。いるかな?ジョージアに行く人。)すごく面白くて素敵なガイドさんです。
恐らくジョージアに来る日本人ってほぼ100%「世界一周系の方々」なんですよね。なので「minazoは次はどこの国に行くの?」と聞かれ、「え、ロンドンに帰るよ」というと、「日本人なのに一か国だけだと?!」みたいな反応をされました。笑
今回は私が怯えて少し危険なエリアに近い絶景観光地カズベキには行かなかったのですが(おそらく日本人の目当てはこの絶景)、いつか彼のガイドで行ってみたいなあ。
おわり。
ネットで絶賛されているジョージア料理が本当に美味しかった話と、首都トビリシのおすすめレストラン
こんにちは。ロンドンでゆるりと大学留学中の駐妻minazoです。
今回は、ジョージア旅行編のブログで1番伝えたいことかもしれない、ジョージア料理(グルジア料理)について書きます。
ネットで調べると大量に出てくる、ジョージア料理を絶賛する情報。ちょっと大げさなのでは?と思いきや本当に美味しいんですよ。今まで旅行した国の中で1番の感動かも。
そして気づいたのです。未知の料理を食べるのってすごく面白い!当たり前だけど、普段は味の想像がつく料理を食べるのがふつうですよね。旅行だとしてもヨーロッパの料理なら日本人でも何となく馴染みがあったり。まったく初めての料理にどんな味かドキドキしながら食べて「これはいつもの旅行じゃない!冒険なんだ!」みたいな、1人で盛り上がっていました。
特に友達が、日本語が話せる友達(彼についてもまた別に記事で書きたいと思います!)やお兄さん夫妻など、毎回色んな人を招待してくれてみんなで賑やかにジョージア料理を食べて過ごした時間が本当に楽しくて忘れられず。テレビの、外国で数日過ごした芸能人がお別れに泣いちゃう、みたいな気持ちが分かる。笑
というわけで、そんな思い出深いジョージア料理を紹介したいと思います。
突然!ジョージア料理お気に入りランキング
完全に私minazoの好みによるランキングです。
1位:チヒルトマ(鶏肉スープ)
1位がメインではなくスープでのスタート。笑
二日酔いや病気の時に飲むチキンスープらしい。これが本当に美味しくて。水炊きや参鶏湯が好きな人は絶対食べて欲しい。お店によってレシピがかなり違うようなのですが、濃厚な鶏のスープにニンニク、カスピ海ヨーグルト、そして卵黄が材料らしいです。アジアは生姜やニンニク、ヨーロッパも野菜と煮込んでチキンスープにするけど、何かが違うと思ったらヨーグルト!鶏と乳製品って合うんだ、という大発見。
2位:オーストリ(牛肉シチュー)
これも感動の味。何故こんなに美味しいの?イギリスの牛肉の臭みに苦しめられている日々のせいかな?いやそれがなかったとしても本当に美味しい。スネ肉っぽいホロホロや牛スジっぽいちょっとトロトロ、牛肉の色んな部位が入っていて、シチューのような牛すじ煮込みのような。意外な組み合わせでパクチーも合う。ジョージア料理はパクチーもたくさん使われていました。
3位:シュクメルリ(鶏肉ニンニク煮込み)
3位は再び鶏肉×にんにく。
これも食べた瞬間「何だこの味は!美味しい!」となりました。パリパリの揚げたチキンににんにくソースが絡められているのですが、奥深い味わい、、!?「シュクメルリ」としか表記できませんが、本場の発音はもっと可愛らしい響きなのです。笑
以上、選び抜かれた3品でした。ベストスリーにランクインしなかった料理の写真も載せておきます。
ジョージア料理を調べると必ずでてくる、ヒンカリ。もちろんとても美味しかったのですが、一番味が想像通りだった料理でした。皮に包まれたひき肉。ネット情報では小籠包みたい、と書いてありますが、意外と大きいし皮も厚いです。小籠包のように何個も食べる感じではないかも。キノコ入り、チーズ入りもありました。
めちゃくちゃ甘いトマト、パクチー和え。野菜が本当に新鮮な感じがしました。
ピクルスもヨーロッパのとは何かが違う!
ラストは、こちらもネットで調べると出てくるハチャプリ。個人的にこれだけは、、重すぎました。ナンのようなモチモチ生地にチーズとバターがこれでもか、と。きっとシェアして食べるのかな?そしてイギリスでは生卵を食べないようにしていると、わずか1年で何となく生卵に抵抗が。あんなに卵かけごはん大好き人間だった私が。人って変わるのですね。
トビリシ(首都)のおすすめレストラン
友達に連れられるがままで、ほぼお店を覚えていないのですが、もしジョージアに行く予定でこのブログにたどり着いた方(いるだろうか?!)のために申し訳程度のレストラン情報も。
ドイツのホフブロイハウス(HB)がやっているレストランがトビリシのでナンバーワンのヒンカリ、と友達は言っていました。何故ドイツのビアホールなのか謎ですが、料理は完全にジョージア料理で、有名な料理は一通り揃っていました。ヒンカリはもちろんシュクメルリもとても美味しかったです。Webページがないみたいですが、「HB Tbilisi」とかで検索すればGoogleMapで見つかりますのでぜひ。
ちなみにトビリシ内のレストラン5~6軒行ったのですが本当に外れがなく。もちろん友達が厳選してくれたのもあったと思うのですが、ファミレスみたいなお店でもすごく美味しかったり。そしてこれもネットで散々言われていますが、とにかく安いです。すべてごちそうになった私が言うのもなんですが、、値段を気にせず食べられるだけたくさん食べてほしい!
いつかまた食べられる日まで・・・
ジョージアの人になんでジョージア料理はこんなに美味しいのかな?と聞くと、みんな「素材がオーガニックで新鮮だからだよ」と言っていました。たしかに野菜もお肉も、そのものがすごくおいしく感じました。そして、レシピを聞いたり調べて、家で再現しようと作ってもぜんっぜん味が違うんです。(私の料理スキルの問題も・・・?)またあの感動を味わうためには、生きているうちにもう一度ジョージアに行かなければ、と思うのでした。
おわり。
初めての旧ソ連国へ!コーカサス地方ジョージア(グルジア)の1人旅
こんにちは。ロンドンでゆるりと大学留学中の駐妻minazoです。
さて、ジョージアへ行ってきました。ジョージア。アメリカのジョージア州ではないですよ。ロシアの下、トルコの上、にある旧ソ連国です。少し前まで日本での正式名称がグルジアだったので、グルジアの方が聞き覚えがあるかもしれません。
クリスマス、年越しと過ごしてきた大学生活の合間の冬休み。最後の一大イベントでした。
今までの人生歴代の旅の中でもかなり思い出深くて、貴重な体験ができたので、ジョージア旅行編は何回かに分けて書いていきたいと思います。
ということで、今回のブログ記事はジョージア旅行編イントロダクションとして、行くことになった経緯や帰国直後の今の心境を書きます。
ジョージア旅行のきっかけ
必ず聞かれる質問、、「なんでジョージアに行くことにしたの?」の答えは、「大学のジョージア人クラスメイトがおいでと言ってくれたから」です。
ほとんどの日本人がそうだと思うのですが、私もクラスメイトに会うまで、ジョージアという国のことをちゃんと認識していませんでした。その友達からジョージアの話をたくさん聞いたり、ネットで日本人の旅行ブログを見つけたりするうちに、行ってみたいと思うようになりました。
あとは、コーカサス地方・旧ソ連国という響きから、大好きな漫画「乙嫁語り」の世界(ちょっと場所は違うけど、、)を見られるかもという期待もありました。
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そして、ゆるい留学ブログではおなじみ、老人並みの体力しかない夫は、そもそも旅行がとても苦手で、「できれば勝手にどこか行ってきてくれ」というスタンスで、快く賛成してくれたこともあり、行ってみることにしました。
迷い、葛藤、そして決意!
行くと決めてからの葛藤についても書きます。
ジョージアが数年前まで日本ではグルジアと呼ばれていたことが分かり、思い浮かんだ言葉。それは、、
「グルジア侵攻」!!!!!
ロシアが攻めてきた、、?しかも割と最近だったような、、?紛争地帯?
という、最初は少し危険な国という印象でした。
友達の話を聞く限り、首都トビリシは平和そうで、ネットで見ても日本人もけっこう訪れている模様。素晴らしい国だと絶賛されていて、危険な目に遭ったという情報はそんなに見つからないので大丈夫だろう、とフライトも予約しました。
しかし、行く直前に見つけてしまった外務省ウェブページ。
カッ、、カラフル!
海外の危険情報のとらえ方は、かなり人によりますよね。
ヨーロッパだってテロが頻繁に起きているし、気にし過ぎたら旅行できない。という意見もあれば、外務省の注意喚起に従わないなんて無責任すぎる。という意見。どちらもあると思います。
特に私は駐在員の家族として来ているわけで、何かあったら夫や会社に迷惑をかけてしまうと思うと、直前だったもののキャンセルしようかと本気で考えました。
しかし、クラスメイトの説得(空港の到着ゲートから出国ゲートまでずっと一緒にいるし、本当に平和な国だから信じてほしい。と何度も言ってくれました。。)もあり、20代最後の冒険ということで再度決意したのでした。
帰国直後の心境
こうして無事にロンドンに帰国できたところで、正直な心境を3つ。
1.ジョージア人クラスメイトへの感謝
約束してくれた通り、空港についたときから出国まで、本当にずっと一緒に居てくれて、とてつもない歓迎をしてくれたお友達への感謝が尽きません。(1人旅というタイトルにしたけど違いますね笑)
お家に泊めてくれて、車でたくさんの場所に連れて行ってくれて、さらにジョージアの習慣だから、とすべての費用を負担してくれて、一切お金を受け取ってくれませんでした。私が払ったのはチケット代とお土産代だけ。。
ご家族や友達のさらに友達も含めて、こんなに人に親切にされることはもうないと思うほど、ちやほやされ尽くしました。出会った人たちのこと、ホームステイのこともまたブログ記事に書きたいと思います。
2.これで最後にしようという決意
お友達のおかげで本当に楽しかったジョージア旅行。無事に帰ってきたからそう言えますが、行く前の不安は忘れられません。笑
過ごしていて危険と感じたことは全くなかったのですが、これまた何もなかったから言えること。ブログに書いていて改めて、無責任だったと反省もしております。。もういい歳なので、これからは安全な場所へ旅行していきたいと思います。
20代最後でありつつ、人生最後の冒険ということにします。
3.人生の不思議への感動
ジョージアの景色を見たり、ジョージアの人々と出会う度に、不思議な気持ちになりました。1年ほど前までは東京で平凡な会社員だった私が、コーカサス地方にいる、と思うだけで感動だったのです。
正直、他の国への旅行は少し違った人生でもありえたかもしれません。
例えば、独身のまま女友達とパリ旅行。例えば、他の人と結婚して北欧旅行。
でも、ジョージアだけは、99.9%行くことがなかったと言えます。
あの会社に就職して、あのプロジェクトに参加して、夫と出会って、夫が転勤になって、結婚して、渡英して、大学に行くことを選んで、ジョージア人と同じクラスになって、、、。
人生とはそういうもの、と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、とにかく今はその感動の気持ちでいっぱいです。貴重な経験のチャンスをくれた夫へも感謝です。(←とってつけたようですが、言っておきます。笑)
ジョージアの思い出に浸りつつ、冬休みの終わり
ジョージア旅行が終わったところで、冬休みも終わりました。
学校生活を再スタートしつつ、これからジョージア旅行の思い出をコツコツ書いていきたいと思います。
おわり
20年メモリアルイヤー・ダイアナ妃ファッション展示
こんにちは。ゆるりとロンドン留学中の駐妻minazoです。
前回の、ケンジントン宮殿見学の続き、同じくケンジントン宮殿内で見られるダイアナ妃のファッションストーリーの展示について書こうと思います。
20代から30代、ダイアナ妃が着用した衣装
20代のプリンセス感全開の華やかなドレスから、30代の大人なドレス・スーツ衣装へと、時代の流れも感じつつ見ることが出来ました。
ちなみに、ダイアナ妃は若いころはファッションにはあまり興味がなく、友人に洋服を借りるくらいだったそうです。チャールズ皇太子との婚約後、衣装を集め、着こなし、ファッションアイコンとなったそう。
これは初めてダイアナ妃が王室のプリンセスとしてオフィシャルな写真を撮った時の衣装。(元)夫のチャールズ皇太子の式典用の衣装と並んでも目立つような衣装を探されたのだとか。
チャールズ皇太子との婚約前に着用されたドレス。
この白い衣装は、インドのサリーから着想を得て作られたらしい。このドレスを来てブラジルを訪問され、エイズ患者の方々と交流されたそう。病気への偏見をなくす目的で、患者と握手をするときあえて手袋を外されたのだとか。
日本訪問の際に、桜をイメージして着用されたピンクのドレス。
ファッションより、チャリティーの仕事に重点を置いたという衣装。子供に関するチャリティーイベントの際は、明るい洋服を身につけるようにされたそうです。
英国王室で過ごしている期間は、王室のしきたりに従ってイギリスブランドの洋服のみ着用していたダイアナ妃でしたが、チャールズ皇太子との離婚後は、イタリアブランド・ベルサーチのドレスを着ることもあったというストーリー。
ストーリーが詰まったファッション
エキシビジョンのタイトル通り、各衣装それぞれにストーリーがあり、ダイアナ妃が過ごした時間や人間性を、少しですが学ぶことができました。
冬休み中で英語に触れる時間が格段に減ってしまった危機感から、ダイアナ妃のドキュメンタリー動画を細々見たりしているのですが、
バッサリ髪を切ったタイミングで、「夫の不倫に苦悩して精神を病んでしまったプリンセス」から、「社会貢献やチャリティーに意欲的に取り組む強い女性」に変わった、というエピソードもファッションと紐づいているなと感じました。
没後20年の2017年、そして2018年は、、
2017年はダイアナ妃没後20年という記念の年でした。
命日だった夏にはケンジントン宮殿はダイアナ妃追悼一色、たくさんのお花とメッセージ、祈りに来る人々、報道陣など、ダイアナ妃人気を目の当たりにしました。
ニュースでは、ケンジントン宮殿のあたりに、ダイアナ妃の像を作ることも検討されていると報道されていました。
メモリアルイヤーということで、特に盛り上がっていた2017年に続き、2018年もダイアナ妃人気が続いていきそうな予感です。
ということで、今回はケンジントン宮殿でのダイアナ妃ファッションストーリーの展示を見てきたお話でした。
おわり。